昭和30年頃になって当時の長浜市長や当地出身の県議会議員で初代理事長議員で初代理事長船野長人氏らによって湖北3郡の総合開発構想が持ち上がった。当初は余呉湖の治水と利水を中心とするものであったが、当時高度成長期に向かう時であり、地域産業の養蚕業が斜陽化する過渡期にあって、地域の産業振興を図るための農業基盤の整備充実を切望されるようになった。
総合開発計画にあたって先行する治水対策は県土木部で、利水は農林省で建議がなされ、その第一段階事業として余呉湖を中心とする治水事業が昭和31〜33年施工されている。
一方余呉湖の水を、治水で施工した放水隧道を利用して湖北一帯の用水補給に活用する計画は県農林部で出され、県の農林、土木間で調整がなされていた。従って洪水用の放水隧道は余呉湖の利用水深を勘案した位置に設けられ、温水取水が可能な施設構造となっていた。
かくして昭和38年に至り、農林省直轄調査地区として調査及び計画の樹立がなされ、翌39年新規採択によって全体実施設計を行い同40年10月事業所開設と共に工事着手に至ったものである。